小説 ~ 岬 ~




岬(みさき)
著者名:中上健次(なかがみ けんじ)
出版社:文藝春秋
発売日:1978/12
ジャンル:ヒューマン





「岬」は和歌山県の紀州を舞台に、土方業に従事する青年の、複雑で不穏で不愉快な人間関係のしがらみ、家族と血縁に関する性や暴力を描いた作品です。

著者の中上健次さんは和歌山県の出身であり、出身地は当時の被差別部落のあった地域で、作品の世界観に影響を与えているとされています。他の著書に、「枯木灘」や「蛇淫」があります。

本作品は1975年に芥川賞を受賞しています。

文庫には表題作の「岬」の他、「黄金比の朝」、「火宅」、「浄徳寺ツアー」の計4編が収録されています。



あらすじ


一浪している<ぼく>、月曜の夜から土曜の朝まで夜勤として貨物会社で働きながら、午後から予備校に出かける、もしくは、アパートで問題集を解く日々です。

四畳半の部屋の壁には誰にもらったかも記憶にないチェ・ゲバラの追悼集会のポスターが貼ってあり、トイレや炊事場は共同です。

同じアパートには三浪している斉藤という友人がいます。<ぼく>は斉藤に起きて風呂でも行かないかと誘いますが、斉藤は眠ったまま返事もしません。

そのまま外出する<ぼく>、春が近づく3月中旬、季節の風に心地よさを感じながら、黒いジャンパーのポケットに入っていた英単語カードを取り出すと、そこには“abandon 棄てる”と書いてありました。今日一日の禍々しさを予言するかのようなそれをポケットにすぐねじ込み、<ぼく>はアパートの隣に住んでいる家族を観察しながら、駅へと向かいます。

あてもなく駅まで歩き、あてもなく電車に乗って、予備校のある駅で降り、予備校まで歩く<ぼく>、予備校の前では黒いラッカー塗料で塗りつぶしたヘルメット姿の男がビラを配り、カンパを募っています。

校舎の壁にある硝子ケースには二月始めに実施された模擬試験の順位が掲示されています。それには百位までの名前と高校の名前が並んでいます。この試験は<ぼく>も斉藤も受けていません。ラサール、灘、西と並んでいる高校の名前を見て、<ぼく>は不意に自分の高校を思い出し、そして、兄と母のことを思い出します。

五階建ての予備校の屋上に移動しようとする<ぼく>、出入口で黒ヘルメットからガリ刷り(謄写版)のビラを渡されます。ビラは共産主義武装軍団のものでした。<ぼく>の兄が所属する党派ではありませんでした。<ぼく>はじぐざぐ形の階段を一気に駆け上がります。

息を切らしている中、屋上で夕日を眺めます。それは血膿の色でした。屋上からさっきもらったビラをちぎって棄てます。


夕食を済まして部屋に戻ると、斉藤と兄がいました。兄は<ぼく>と腹違いでした__


(『黄金比の朝』)



感想


家族、血の呪縛を扱った短編4作品です。個人的には「黄金比の朝」が、比較的読みやすいという理由と印象に残る表現が多いという理由で好みでした。

「岬」や「火宅」は登場人物の血縁、関係が少し複雑で読みにくいです。読解力と想像力の乏しさに起因するものなのでしょうが、主人公以外に印象に残っている登場人物が極端に少ないです。

特に女性に関しては、血のしがらみによる身勝手な男性目線の女性軽視と、雄の性の視点で描かれているため、血の通っていない、似通った人物像を受けてしまいます。そのように表現していることこそが本作品の魅力なのかもしれませんが、読んでいて違和感を抱きます。

作者の小説「蛇淫」を原作とした映画「青春の殺人者」で登場した女性、ケイ子や母親は演者の存在もあって印象的です。また、同じく親子の血と性と暴力を扱った小説作品として、田中慎弥さんの「共喰い」があり、そちらのほうが各登場人物の存在、意思を感じやすいです。

作者が路地と称している被差別地域という考え方が少なくなってきていること、社会的・身体的弱者に対する暴力・差別への嫌悪感が高まっていること、社会の変遷に伴い、時代に合わなくなってきているのかもしれないと感じました。



おれ一人で生きていく.
親も兄弟も、嘘だ。
母親がいたということも、父親がいたということも嘘で、
おれは木と石が交接して、木の又から生まれたのだ





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