共喰い(ともぐい)
著者名:田中慎弥(たなか しんや)
出版社:集英社
発売日:2012/01
ジャンル:ヒューマン
「共喰い」は 田中慎弥さん著作、昭和終期の、とある川辺の街で暮らす男子高校生の視点を中心に、家族や恋人に関する性や暴力を描いた作品です。
本作品は第146回芥川賞受賞作であり、受賞会見の様子も話題となりました。
文庫には表題作の「共喰い」の他、第144回芥川賞候補作である「第三紀層の魚」も収録されています。
2013年には青山真治監督、菅田将暉さん主演で映画化もされています。
あらすじ
昭和63年の夏、戦後の復興から遅れをとり、下水道の整備も追いついていない淀んだ川辺の街に17歳の高校生である篠垣遠馬(しのがき とおま)は暮らしています。
遠馬は、何の仕事をしているか定かではない血の繋がった父親である円(まどか)と、その愛人であり遠馬の継母となる血の繋がっていない琴子(ことこ)さんと三人で暮らしています。
遠馬の血の繋がった実母となる仁子(じんこ)さんは、遠馬の家から川を挟んだ斜め向かいに住んでおり、60歳近くなる年齢で魚屋を営んで生活しています。
遠馬には1歳年上の彼女、会田千種(あいだ ちぐさ)がいて、春に付き合い始めたばかりですが何度も情交を結んでいます。
そして、円は性行為中に暴力を振るう男です。
前妻である仁子さんにも、同棲中の琴子さんにも、行きずりの相手にも行為中に殴ったり首を絞めたりする悪癖があります。
一方で子供である遠馬は父親から暴力を受けたことはありません。
遠馬は実母が川一本を挟んで別々に暮らしていることを変だと思っています。また、殴られても家から出て行かない継母を頭の悪い女だと思っています。
千種は何度か情交を結んでいますが、何回やっても行為に痛みを伴ったままです。遠馬はそれを自分が下手なせいなのかわかりません。
遠馬は父と同じ血が流れていることで、千種にもいつか同様のことをしてしまうのではないかという漠然とした感情を抱いていました_
感想
淀んだ川辺の街を舞台に家族の性と暴力をテーマにしているためか文体がどうも生々しく重い印象を受けます。また、会話文が方言という点も読みやすくはないです。
しかし、端的な文章が多い点と、視点が遠馬に固定されているため、読むのに疲れるということはなく、慣れてくると比較的スラスラとページが進むようになりました。
物語の起承転結のわかりやすさや題材的には併録されている「第三紀層の魚」のほうが読みやすいと思います。
男性の女性への暴力表現が嫌いな人は表題作は読まないほうがいいと思います。
この作品、作品のタイトルの意味である誰のために誰が喰ったのか、これは遠馬が比較的近い内容のことを台詞として言っているのですが、遠馬の思った最後の1文はかなり印象的です。
他者が琴子に用意してくれると遠馬が思ったそれは、琴子にとって不要であるものであることを遠馬は知っているはずです。その描写は物語の序盤にありました。
この不思議な描写は、遠馬のなかで何かが生まれたことを暗示しているか、ここら辺は時間が経ってからまた読み返すと違う感想を持てるかもしれないと思いました。
コメント
コメントを投稿