本格小説(ほんかくしょうせつ)
著者名:水村美苗(みずむら みなえ)
出版社:新潮社
発売日:2002/9(2005/11)
ジャンル:ヒューマン、ドラマ
「本格小説」は、昭和を舞台にニューヨークで運転手から巨額の富を築き上げた男の過去、半世紀の期間にも及ぶ男の生い立ちと、ある身分違いの女性との恋愛模様を第三者の視点から描いた小説です。
著者の水村美苗さんは東京都出身の作家で、1995年に野間文芸新人賞を受賞した「私小説 from left to right」や2009年に小林秀雄賞を受賞した「日本語が亡びるとき」等の著書があります。
本作品は2003年に読売文学賞を受賞しており、“世界の十大小説のひとつ”とされるエミリー・ブロンテさんの著作「嵐が丘」を戦後日本を舞台に書き換えた作品とされています。
あらすじ
(本格小説の始まる前の長い長い話)
美苗(みなえ)は、日本の会社からの駐在員として派遣されている父と、その母と三人でニューヨークで暮らしている十一回生(高校二年生)でした。
離れて暮らす家族に、ボストンの音楽学校に通う二歳上の姉、奈苗(ななえ)がいます。
ニューヨークで暮らす美苗には三つの世界がありました。
一つ目のアメリカ人と一緒のハイスクールの世界、美苗にとっては思春期特有の頑なさもあり、ただ単にそこに存在しているだけの世界でしかありませんでした。
二つ目は内向的な美苗の頭の中の世界であり、音楽や小説といった芸術に関する孤独な世界でした。
そして、三つ目の世界に、父親が勤める会関連の日本人の大人たちによる世界がありました。
この作品の主要な登場人物となる東太郎(あずま たろう)もその世界に登場する一人でした。
家族との他愛のない夕食の会話の中で、「お抱え運転手」という珍しい仕事に彼が就いているということで話題にあがっただけでしたが、その特異な経歴が美苗の記憶に残ります。
それから数ヵ月後、そんな彼が美苗の父親の会社でカメラの修理工として転職することになります。
会社での彼の様子については、美苗の父親以外に、ミセス・コーヘンという美苗の父の会社の秘書や経理を担当する雑談好きの日本人女性から聞くことができました。
彼は決して人付き合いを好むようなタイプではありませんでしたが、手先も器用で物事ののみ込みも速いということでした。
そんな彼と美苗が初めて会話を交わしたのは、美苗が十二回生のときに会社の関係者を集めてっ自宅で開催されたクリスマスパーティーの場でした。
姉の奈苗がピアノを演奏している裏で、母親と後片付けをしていた美苗、そんな折、上背のある東を見た母親が、東に美苗の部屋の天井の電球を取り替えてくれないかと頼んだことがきっかけでした。
部屋の電球を交換してもらった際に初めて会話を交わし、思っていたほど悪い人でもないのかもしれないと思う美苗、電球を交換した後、東は美苗の部屋の造りつけの本棚を指差し、美苗がわざわざ船便で日本から持ってきた「少女世界文学全集」に興味を示します。
昔にそれを読んだことがあるという東は、しばらく美苗の部屋で、大切な何かを思い出すようにその本のページを操り続けていました。
その後、数年間にかけて、美苗の置かれている環境は大きく変化し、家庭は裕福でなくなっていき、両親の関係も悪化していきます。
一方で東は美苗の父の会社を退職し、起業してどんどんお金持ちになっていく様子を風の噂やミセス・コーヘンからの会話で聞くようになります。
そして時が流れ、アメリカの大学で文学を教える美苗のもとに祐介という日本人の青年が現れます。その祐介が「東太郎」についての小説のような物語を美苗に語り聞かせようとします。
それは東太郎の成功と挫折、至福と煉獄の入り混じった生い立ちと、とある恋物語でした__
感想
読み始めた当初はドライバーから大富豪になった東太郎という男のアメリカでのサクセスストーリーかと思っていのですが、三人の話者を通して読み進めていくと、昭和の日本を舞台とした東太郎が関わる物語であり、階級社会における悲痛な恋愛や周囲の人々の存在と思惑が交錯する素敵な作品でした。
話者によって文章の受ける印象が変わる書き分けそのものが、この小説作品を読む楽しみを増大させていることはもちろん、中でも、女中の冨美子が語る文章はノスタルジックな雰囲気と老成した視点から垣間見える文章は、読んでいて楽しめました。
小説を読んでいると登場人物に共感できる・できないで作品に対する印象が変わりがちなのですが、この作品ではそんなことが頭をよぎることすらなく、その世界に誘われる文章力、とても印象に残る作品でした。
中島京子さんの「小さなおうち」も昭和時代に女中として過ごした女性が過去を語る視点の作品でしたが、どちらも違ったおもしろさがあり、両方読んでみるのもいいと思います。
「軽薄を通り越して希薄ですね」
シャンペングラスを眼線まで上げて泡を眺めながら続けた。
「この泡みたいな感じ……ほとんど存在していないような感じがする」
コメント
コメントを投稿