小説 ~ 存在の耐えられない軽さ ~




存在の耐えられない軽さ(そんざいのたえられないかるさ)
原題:Nesnesitelná lehkost bytí
著者名:ミラン・クンデラ(Milan Kundera)
訳者:千野栄一(ちの えいいち)
出版社:集英社
発売日:1998/11 (原題発表 1984)
ジャンル:恋愛





「存在の耐えられない軽さ」は、冷戦下のチェコスロバキアのプラハを舞台にした、とある外科医と田舎娘の恋愛を描いた小説です。

著者のミラン・クンデラさんは、チェコスロバキア出身で、他の著書に「微笑を誘う愛の物語」や「冗談」があります。

訳者の千野栄一さんは東京都出身のスラブ語を専門とした言語学者であり、他にズデニェク・スヴェラークさんの「コーリャ 愛のプラハ」などを翻訳されています。

本作品は1988年にフィリップ・カウフマン監督、ダニエル・デイ=ルイスさんとジュリエット・ビノシュさん主演で映画化されています。



あらすじ

永劫回帰という物事が際限なく繰り返されるという考え方は不思議なものです。人生のように繰り返されることがないものは、1度しかないために崇高で美しいものと捉えることができる一方で、重さのない無意味なものと捉えることもできます。

ニーチェは永劫回帰という考えをもっとも重い荷物と呼びました。物事は消え去ろうとするからこそ、ノスタルジアを感じたり、否定的判断を下さずにすむことがあります。しかし、重さとは恐ろしいことなのでしょうか。軽さは素晴らしいことなのでしょうか。

重い荷物というものは充実した人生の姿です。現実的で真実味を帯びたものです。重荷が欠けている人生は半ば現実感を失い、無意味になります。

そこで私たちは何を選ぶべきでしょうか。重さでしょうか。軽さでしょうか__



1968年8月、ソ連がチェコスロバキアを占領下に置こうとする前後、重さと軽さという考え方に光を当てて彼を知った女と、犬の応援だけでは彼女を幸福にはできないだろうと意識した男がいました。

男のトマーシュはプラハの優秀な外科医です。女のテレザは辺鄙な町のレストランでウエイトレスをしていました。2人の出会いは小さな町での偶然の出来事でしたが、テレザはすぐにトマーシュの後を追ってプラハへ行きます。テレザの純情な気概にほだされたトマーシュは彼女に寄り添うこととなり、程なくして2人は結婚します。

トマーシュには10年以上前に別れた妻と息子がいます。それ以来、独身者でいるように人生を設計してきたつもりでしたが、テレザに対しては自身の原則に逆らう行動をとりました。

トマーシュはいわゆる色男であり、1度だけの女遊びを多数経験していました。1度遊んでしまえばそれ以降は見向きもしません。中には例外もいました。画家のサビナです。

サビナはトマーシュにとって、よき愛人であり、よき友人でした。テレザのためにプラハで職を探そうとしたときも、サビナは協力を惜しまず、週刊画報の写真室のポストを見つけてきたのは彼女でした。

女の陰がちらつくトマーシュの影響で悪夢に苛まれることもあったテレザ、トマーシュは彼女のために子犬を探します。同僚の飼っているバーナード犬から生まれたシェパードとの雑種の雌犬を譲り受け、彼女にカレーニンと名づけました。

プラハには冷戦の影響が忍び寄っていました。それはトマーシュとテレザの生活にも同様に影響を与えようとしています__



感想


実際に「プラハの春」を経験しフランスに亡命することとなった著者の恋愛小説です。哲学的な話から物語が始まり、とある男女の価値観や過酷な社会情勢下での生き様が描かれます。

軽さと重さに焦点を当てた考え方がおもしろいです。軽薄な男や重たい女、責任や自由、といったたまに目にしたり、耳にしたりする事柄に対して多様な視点から描かれていると思います。

各々の価値観を尊重し、軽さと重さの両方の価値を提示する内容と、冷戦時代の社会情勢を軽く知れたことがよかったです。また、感心する文学表現もいくつかありました。

時系列と一部の語句で難読だった部分もあるため、いずれ再読するのもいいのかと思いました。



Einmal ist keinmeal.(一度は数のうちに入らない)
ただ一度なら、全然ないことと同じである。
チェコの歴史はもう一度繰り返すことはない。
ヨーロッパの歴史もそうである。
チェコとヨーロッパの歴史は人類の運命的未経験が描き出した二つのスケッチである。
歴史も個人の人生と同じように軽い、
明日はもう存在しない舞い上がる埃のような、
羽のように軽い、
耐えがたく軽いものなのである。

(P.283)





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