蝉しぐれ(せみしぐれ)
著者名:藤沢周平(ふじさわ しゅうへい)
出版社:文藝春秋
発売日:1988/5(1991/7)
ジャンル:時代
「蝉しぐれ」は江戸時代の武士の家系に生まれた青年の成長譚、人々の合縁奇縁や愛別離苦、困難な状況への挑戦や受容を描いた時代小説です。
著者の藤沢周平さんは山形県出身の作家で、他の著書に、1973年に直木賞を受賞した「暗殺の年輪」や、2002年に山田洋次監督で映画化された「たそがれ清兵衛」といった作品があります。
本作品は2003年に黒土三男さんの脚本でNHK「金曜時代劇」の枠でのテレビドラマ化、さらに、2005年に同じく黒土三男さんによる監督・脚本、市川染五郎さんが主演で映画化もされています。
あらすじ
江戸時代、城下町から北西にある海坂(うなさか)藩普請組に勤める牧助左衛門の一人息子、牧文四郎(まき ぶんしろう)が家の玄関を出て、裏の川べりに向かいます。海坂藩普請組の組屋敷の裏には澄んできれいな小川があり、その水で物を洗ったり、掃除をしたり、ときには川辺で顔を洗ったりしています。
文四郎の母親は井戸を使用せずに川の水で顔を洗うことをはしたないといっていますが、父親も時々は小川で顔を洗ったりしているため、かまわないだろうと考えていました。
文四郎は子供のできなかった牧家に養子として迎えられた身です。文四郎は堅苦しい母親よりは、寡黙で男らしい父親のほうをより尊敬していました。
文四郎が川べりに着くと、隣家に住む娘の ふく が物を洗っていました。朝の挨拶を交わそうと声をかけた文四郎でしたが、ふくの反応は頭を下げただけの素っ気無いものでした。以前は普通に挨拶を交わしていたにもかかわらず、1年ほど前から文四郎に対するふくの態度がつれなくなっているように文四郎は感じています。
何か疎まれるようなことをしてしまっただろうかと考える文四郎、1度、そのこと親友に話したときには、その娘が色気づいたからだろう、と言われましたが、12歳のふくにはまだ早いだろうと文四郎は考えています。
文四郎には二人の親友がいます。小和田逸平は15歳の文四郎の一つ上の16歳で、すでに元服を済ませ、お調子者なのか、よからぬ噂もあるため、文四郎の母親からはあまり良く思われていません。もう一人の親友、島崎与之助は文四郎と同い年であり、学問の分野で周囲からの期待を集めています。
文四郎は二人と一緒に、昼間は私塾に向かって経書を学び、昼過ぎからは道場に向かって剣を学ぶのが日課でした。
そんな文四郎でしたが、近い将来に、避けることのできない離別と苦難が待ち受けていました__
感想
一人の青年の成長譚を描いた時代小説です。
政変に巻き込まれ、過酷な運命に身を委ねても、体制に漠然と反抗するわけではなく、辛苦を負いながらも真摯に生きていく主人公の姿と矜持に惹かれていきます。
空や植物などの自然描写も多く、また、文四郎を中心とした人物の一挙手一投足も詳細で情景を浮かべやすいです。
「蝉」というタイトルを見たとき、ひと夏の物語かと思いましたが、実際は幾年にもわたり、主人公の転機の度に蝉の鳴き声が響きわたる物語でした。夏を連想する蝉が、晩秋から初冬に降る時雨(しぐれ)のように一斉に鳴きたてる様子を表す言葉が本作品のタイトルです。豊かな情景描写や、苦難な時期を受容しながらも成長していく様子を描いた本作品のタイトルとして、感慨深いものがあります。
すでにみぞれが降り、
霰は数度も降った。
日の光を見ることは少なくなって、
領国の空を灰いろの雲が覆う日の方が多くなっていた。
灰いろの雲は、
時どきその重さに耐えかねたように垂れさがり、
そこからつめたいみぞれや乾いた霰を降らせるのだった。
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