映画 ~ 裸の島 ~



裸の島(はだかのしま)
配給:近代映画協会
監督:新藤兼人(しんどう かねと)
脚本:新藤兼人
出演:乙羽信子(おとわ のぶこ)、殿山泰司(とのやま たいじ)
公開日:1960/11
ジャンル:ヒューマン




「裸の島」は、瀬戸内海にある離党で暮らす親子4人が電気やガス、水もない過酷な条件の下で、互いに協力して農業に精を出し、日々の生活を暮らしていく様子を描いたヒューマン作品です。

「三文役者」の監督・脚本、「ハチ公物語」の脚本等の代表作を持つ広島県出身の新藤兼人が監督・脚本を務めています。

日本映画製作者協会の現役プロデューサーが選ぶ新人映画監督に贈られる映画賞として「新藤兼人賞」があるように、日本のインディペンデント映画の先駆者として多大な貢献をされています。

本作品は1961年の第11回ブルーリボン賞の企画賞を受賞、同じく1961年のモスクワ国際映画祭ではグランプリを受賞し、海外でも複数の賞を受賞しています。

主要登場人物間の台詞は一切なく映像だけで魅せる物語、1ヶ月の撮影期間に500万円という低予算でその作品を作り上げたことも特徴です。

主演の乙羽信子さんは戦後の宝塚歌劇団第一期黄金時代を支えた宝塚歌劇団の27期生であり、戦後の日本を代表する俳優であり、新藤監督の妻でもあります。

もう一人の主演の殿山泰司さんも戦後の日本を代表する俳優であり、その生涯は「三文役者」で新藤監督によって映画化されています。



あらすじ


耕して 天に至る
乾いた土
限られた土地

裸の島


丘陵があり海に囲まれた島、天秤棒を担ぐ男女二人、船に移動し、船を漕ぎ、港に着いて碇を下ろし、ビット(ボラード)にロープをつけて船を留めます。

男と女は天秤棒に水をいっぱい汲んで、来た道を戻り、船に乗り、船を漕ぎます。

島に近づくと沿岸で二人の子供が元気に動き回っています。

木材を抱え運ぶ少年と、ヤギとアヒルの家畜に餌を与える少年、島に到着した男女は、足場も悪く傾斜のある丘を水がたくさん入った天秤棒を抱えながらゆっくりと運んでいきます。

家に到着し、4人でテーブルを囲み食事をとります。

ヤギの鳴き声や風の音、船を漕ぐ音は聞こえます。

4人は離島で生活している家族のようです。


食事後、兄がランドセルを手に持ち、通学帽をかぶって走ってきます。

母親はまた天秤棒を担いで、船に向かい、兄を乗せてまた船を漕ぎます。

道中の海ではボートもすれ違います。

その一方で父親もまた天秤棒を担いでどこかに向かいます、弟は魚を獲るための銛(もり)?を補修しています。


兄と母親を乗せた船が港に到着します。子供の喧騒が聞こえる中、兄は学校に向かいます。

母親はまた天秤棒を担いで、水を汲み取り、水を運んでいます。


父親は汲んできた水を畑に撒いています。乾いた土に少しずつ水をあげています、少しずつ少しずつ、自分も細かく移動しながら。

弟は海で素もぐり漁をしています。


母親が帰ってきて、水を運び、父親と一緒に畑に水を撒きます。

夫婦はそれを繰り返します。それがすべてのように__



感想


今から半世紀以上前の映画です。

登場人物間の台詞が一切なく、白黒の映像ではありますが、その映像の表現だけで魅せて情報を伝え感情に訴えてくる凄い作品だと感じました。

普段生活していると停電や断水でもない限り電気や水道、ガスの存在のありがたみをついつい忘れがちですが、本作品を見ていていかに水が貴重であるか、苦労してまで水を汲みに行く意味、ひいては、生きていくということはどういうことなのか、一家族の生活が訴えてきます。

この延々と続くような日々の労働が繰り返されるのかと思うと、その後の展開が退屈なものになるのではないかという不安を覚えた場面もありました。

しかし、季節が巡っていく様子、家族が出かける様子を見ているうちに、確かに話としての起伏は大きくないのかもしれませんが、物語に惹きこまれていくのを感じました。

そして、とある出来事が起こった後の対岸の花火の演出が特に私には印象に残っています。
台詞がなく表情と風景に意識が集約されることで、花火が空高く舞い上がって散っていく様子が、メタファーという形ではなく、とても強く訴えかけるものになっていると感じました。

終盤の日常が壊れてしまうような夫婦間の畑での出来事とその顛末も心に残ります。






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