映画 ~ 女神は二度微笑む ~




女神は二度微笑む
原題: Kahaani(カハーニィ)
配給: ブロードウェイ
監督:スジョイ・ゴーシュ(SUJOY GOSH)
脚本:スジョイ・ゴーシュ(SUJOY GOSH)
出演:ヴィディヤー・バーラン、パラムブラト・チャテルジー
公開日: 2012/03/09(日本 2015/02/21)
ジャンル:ミステリ、サスペンス





「女神は二度微笑む」は、行方不明となった夫を探すために単身でロンドンからコルタカまでやってきた妊婦の主人公が、その謎を追う過程で、事件に巻き込まれていくインドのサスペンス映画です。

インド版アカデミー賞とも呼ばれるヒンディー映画界最高の賞であるフィルムフェア賞に主演女優賞や監督賞など5部門を受賞しています。



あらすじ


舞台はインドのコルタカ、地下鉄で毒ガスによる無差別テロ事件が発生します。

その2年後、仕事で単身インドに向かって消息を絶った夫のアルナブを捜すために、一人の妊婦、ヴィディヤ(ヴィディヤー・バーラン)がコルタカにやってきます。しかし、勤務先にも宿泊先にもアルナブがいた形跡がないことがわかります。

まったく痕跡がないことなどあり得ないと、その状況を不信に思い、地元の警察の協力を得てヴィディヤは謎を追求しようとするのですが_



感想


物語の冒頭から海外ドラマの「24-TWEMTY FOUR-」を思わせるようなテロ事件から始まるサスペンス、「24」の主人公であるジャック・バウアーのような屈強で強面?な人物とは異なり、優しく、きれいな妊婦が主人公となっていることが本作品のひとつの特徴です。

当然、主人公であるヴィディヤにはCTU(テロ対策ユニット)のような協力な後ろ盾があるわけではなく、また妊婦であることから体も充分には動かせません。
しかし、ITの仕事に従事している強みや、何とか夫を見つけたいという強い気持ち、周囲への優しさを武器に、周りの協力を得ながら事件の真相に迫っていきます。

真相に近づいていく過程で、関係者が殺害されたり、ヴィディヤ自身にも危険が迫っていくのですが、決してあきらめずに夫の行方不明の原因を追求する彼女が大変かっこいいです。
(ただ、どう考えてもそこで命を落とさなかったのは都合がよすぎるでしょう、というシーンが1箇所ありましたが)


原題の直訳は「物語」ということです。
ちなみにアメリカのAmazonを見る限り、あちらでもタイトルは「Kahaani」のようです。
何で日本はこのタイトルなんでしょうかね。


また、「Kahaani 2」も本作と同じくスジョイ・ゴーシュさん監督、ヴィディヤー・バーランさん主演で公開されたようです。
ただし、wikipediaのplot部を見る限りでは、ストーリー上の続編ということではないように見えます。
さて、邦題はどうするのでしょうか。



タイトルについて(ネタバレ前提)


改めて、原題の「Kahaani」ですが映画を見終えて考えると「物語」というよりは、「筋書き」のほうがしっくりくる気がします。誰のあらすじに沿ってこの話が進んでいたのかをここで言うつもりはありませんが、なるほどと思うタイトルです。


さて、本題ですがなぜ邦題は「女神は二度微笑む」なのでしょう。

「女神」は主人公が女性のため違和感はありません。
ヒンドゥー教には神話が複数あり、女性神もいて、インド映画ということをアピールする意味でもいいと思います。

「二度」、これもいいです。映画の中で以下の台詞があります。
「ここでは皆 2つの名を ~ 」
「面白いわ 1人の人間に名前が2つ 2つの顔ね」

この台詞は主人公と協力者のラナが捜査の最初に交わす会話に出てくる一見すると単なるその地域の文化を説明した台詞なのですが、実は主人公も2つの顔を持っていることが終盤わかります。

「二度」という言葉が、2つの顔を暗示しているととらえてもよい気がします。


さて、問題は「微笑む」の部分です。

この映画を最期まで見て、感情的には「微笑む」というよりも「怒り」や「悲しみ」のほうがよっぽどウェイトが高いと思うのですがどうでしょうか。むしろ、「微笑む」要素なんてほとんどなかったのでは?

ここら辺はインドの文化を詳しく知ることで理解を深めることができるのでしょうか。
ここだけすっきりできませんでした。






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