映画 ~ ジムノペディに乱れる ~




ジムノペディに乱れる(じむのぺでぃにみだれる)
配給: 日活
監督:行定勲(ゆきさだ いさお)
脚本:行定勲(ゆきさだ いさお)
出演:板尾創路、芦那すみれ、岡村いずみ
公開日:2016/11
ジャンル:恋愛、ヒューマン






「ジムノペディに乱れる」は富も名声も過去のものになった映画監督の目的のない空虚な生活、様々な女性にお金を無心する様子、その女性たちとの情事を月曜からの日毎に描いている映画です。

監督は「世界の中心で、愛をさけぶ」や「クローズド・ノート」の行定勲さん、最近でも、島本理生さん原作小説を映画化した「ナラタージュ」や、岡崎京子さん原作漫画を映画化した「リバーズ・エッジ」の監督を務める等、有名な作品が多い方です。

主演は又吉直樹さん原作小説を映画化した「火花」の監督であり、お笑いコンビ「130R」の板尾創路さんです。

主演女優が二人いて、一人はTBSドラマ「ディアスポリス 異邦警察」にゲスト出演されていたりする芦那すみれさん、もう一人は映画「かしこい狗は、吠えずに笑う」等に出演されている岡村いずみさんです。

岡村いずみさんは本作で第59回ブルーリボン賞の新人賞を受賞されています。
でも「かしこい狗」は2012年の映画のため、新人とは?という個人的な感想があります。


本作品は「日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」という企画の中の一作品です。

映倫からR-18に指定されており、いわゆる濡れ場がちょいちょい出てきます。

詳細は映画.comさんの専用サイトをぜひ確認いただくということで、本作以外にも、塩田明彦監督作品「風に濡れた女」、白石和彌監督作品「牝猫たち」、園子温監督作品「ANTIPORNO」、中田秀夫監督作品「ホワイトリリー」とそうそうたる監督が名を連ねています。


尚、タイトルの「ジムノペディ」は19世紀後半から20世紀初頭に活躍したフランスの作曲家、エリック・サティさんが作曲したピアノ独奏曲です。

本作では板尾さんが情事をするシーンでは多分すべてのシーンのBGMで利用されていたと思います。




あらすじ


窓から降り注ぐ日光、赤や黄色の様々な色の草花に囲まれる部屋、黒いピアノとそれを演奏する赤いドレスの女性と心地よく鳴り響くクラシック音楽、その光景は夢か幻か、ソファでの眠りから覚めた男、古谷(板尾創路)がその部屋に向かった先にあったのは、カーテンが閉められた暗い部屋、枯れてしまった草花、埃をかぶったピアノがあるだけです。

ふとカーテンを開けると、隣の家にいる女(西野翔)が洗濯物を干しています。

会釈程度の挨拶を交わし、干している大きな白いシーツの裏へ女が消えたかと思うと、シーツを女がめくりあげた次の瞬間、地味な色だがきれいなシルエットをしたワンピースの肩紐を外して、片方の乳房を古谷に見せ付けるように現れます。

女は古谷を挑発するようなそぶりを見せます。

古谷は無表情のまま着衣を乱して何かを始めます。

ただ、何かがよぎったのか、古谷はそのまま何事もなかったかのように窓から離れていき、コップに入れた水を少し含んだ後、外出します。


外出先は映画の撮影現場のようです。

古谷はそこで監督を務めていますが、その映画の規模はかなり小さいようです。

監督の過去の栄光にあこがれているスタッフもいて、そのスタッフに映画を作るうえでは精神が大事だと説く一方で、男優である柳田には小馬鹿にされ、女優である杏里[あんり](岡村いずみ)からはこんな相手とは演技できない、金がないということ言い訳するなと好き勝手言われた挙句、ひっぱたかれて、そのまま現場からいなくなられてしまいます。


仕事のなくなった古谷はその後ブラブラと日々の生活を過ごすことになります。

もはや栄光は過去のものであり、冴えない男のはずなのですが、古谷はなぜかやたらいろいろな女性にもてるようです。

スタッフや教え子、女優と日毎に様々な女性と情事を重ねていきます。

“精神が研ぎ澄まされていれば、金がなくても映画なんだ”、過去にそう言って国際的な映画賞の受賞経験もある古谷、一方で醜悪なほどに金を無心する古谷、これほど金を必要としている古谷には実はある事情があります_



感想


そもそもロマンポルノのロマンとは何なのか疑問に思いつつも監督や出演者に惹かれて鑑賞した本作品、結局ロマンとは何なのか理解できずに終わりましたが、おもしろかったです。

今回のプロジェクトには6つのルールがあり、その中のひとつに「10分に1回の濡れ場」というものがありました。

正直、この間隔は短すぎだと感じてしまいます。

後半の情事場面は意味ありげでよかったと思うのですが、前半はそこまで意味を感じられず、いちいちストーリーが中断されてしまうことがもったいないように感じました。

ちなみに、主人公の古谷が絡む情事の際には決まってジムノペディの第1番が流れていたように思います(主人公が絡まない場合は流れていなかったように記憶しています)。

で、それが約10分置きに発生します。これが長編映画だったら洗脳されて、ジムノペディの第1番が流れるたびに情事シーンを期待するパブロフの犬になっていたかもしれません。


あと、個人的には主演女優は一人がよかったです。

どちらがどうという話ではなく、古谷の映画製作にトドメを刺すことになった女優に、後半の部屋でピアノを演奏するシーンも担当してもらいたかったという安直な願望です。


ただ、こういった複数のルール、複数の監督がかかわるプロジェクトのなかでの映画だからこその魅力もあり、印象に残る作品でした。



コメント